コミニュケーションとしての食

最近、世の中全体がギスギスしてるように感じる。

コロナの影響もあるだろうし、先の見えない不安感が、

無意識のうちに、些細な行動に現れるのでしょうか。

大きな価値転換が起きてる中で、新しいルールが生まれ、

みんな慣れず戸惑い、どこかちぐはぐな印象を受ける。

もはやソーシャルディスタンスは曖昧で、

レジ袋の有料化が環境の役に立ってるのかも曖昧で、

なんのためにしてるかの意味を考えないまま、

身体性だけが環境に馴染んできている。

そうなるとなにか問題が起きた時に、

お互いに齟齬が生じてしまうことになりかねない。

お店とお客様の関係も当てはまる。

やっぱりただ商品を売買するだけのやりとりでは、

動機として、どこか表面的で味気ない。

お店側は、商品を作るために込められた想いや、

どんな人に届けたいかを、普段から発信しないといけないし

お客様側も、その商品のどこが好きで、何を買ってるのかを

しっかり考えて買うと、もっとお互いの関係性は深まって、

買いものが楽しいものに変わりそうなものなのに。

特に個人でやってるようなお店は、

各々に情熱を持って取り組んでるので、

発信して、汲みとって、理解し合えるのが理想的な世界。

外食なんて、本来はお腹を満たすだけの食事だけど、

もっと深掘りしていけば、食を通して交わされる

コミニュケーションの場であるはず。

でもそれは日常的に努力して積み重ねていくもの。

あらゆる人間関係に当てはまる。

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