機能から意味へ

そういえば、振り返ってみるとお店を始めた時も、

世の中が慌ただしく巡り、忙しさに追われる中で

たまに公園でのんびり過ごす時間は、

きっと豊かで意味のあるものに違いないという

核となる願いは、料理がどうこうというよりも

社会に対する問いとしてあったのだった。

そのメッセージが今も変わっていないことが、

手段としての料理やお店といった場所から

違う場所へ変わるだけのことかもしれない。

世の中の便利が加速していくからこそ、

便利で快適なことが本当に幸せなのかと

問い始める人が以前よりも増えてきている。

世界的にも受け入れられてる、こんまりさんの片付けや、

ミニマリズムや断捨離という言葉が聞き慣れてしまった

ように時代の潮流も味方している。

整理すること、捨てること、失うこと、

本当に必要なことを見極める力は、

日本文化における引き算の美学とも相性がいい。

モノや機能や便利や正解で溢れてしまったからこそ、

起こる反動でもあるのだろうとは思う。

電化製品も機能を足していくことでしか、

差別化を計れなくなってしまっていて、

所有することの意味的価値はあまりない。

機能と便利のつまったデジカメより、

不便で値段も高いカメラの方が、物語があるし

情緒やロマンもあって、持っていることに意味がある。

車や時計やファッションなども同じことが言える。

大量生産、大量消費、アメリカ的文化に色濃く

影響されている日本だけど、歴史的背景を考えると

培ってきた美意識にまだまだ可能性はあると思う。

ファストファッションやファーストフードは、

根本をたどれば、貧困地域からの搾取や気候変動、

環境汚染の問題とも深く関わっている。

文明化が成熟してしまった今、人々がモノを減らし

限られた資源の中で、文化を醸成させることに

向かっていくことは必然ではないでしょうか。

それは飲食業界だってきっとそうで、今回のコロナで

お店がある程度、淘汰されてしまうのは止むを得ず、

目を瞑るしかないけど、その後文化的価値や希少価値は

高まっていくと信じている。

機能や便利や快適や役にたつから、

内在的な情緒があるや意味があることへの

理解や価値転換を全体的にしていけたら、と

今も願っている。

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