言葉をプレゼントするように

きっと言葉の量に限りがあるなら、

みんなもっと大切に扱うに違いない。

命やお金は限りがあるからこそ、

どう生きようか、何にお金を使えば幸せかを考える。

言葉はゼロコストで誰でも自由に使い放題。

話すのも、書くのも、メールを送るのも、

インターネットがより言葉を大量発生させた。

言葉を丁寧に選ぶ技術を教わらないまま、

個人が自由に意見を発信できるようになったから、

善し悪しの分別もつかないのではないか。

悪口や誹謗中傷を言ってる自覚すらないことは

結構な致命傷だと思う。

車に乗ってる時だけ悪態をつく人がいるように、

集団の中にいると強くなれるように、

ネットの中では匿名で存在できるように、

何か守られているものがあると、人は大きくなりやすい。

いろんなところで問題になっているけど、

言葉や文字数には限りがないから、

きっとこの勢いは加速していくと思われる。

食品や衣服と同じように、

言葉も大量生産して大量消費してるから、

愛着もなく使い捨てれるのだろう。

地球の環境汚染も大変だけど、

人間の心の汚染も見過ごすことのできない問題だ。

例えば人間の使える文字数に限りがあるならば、

大切な人にだけ大切な言葉をプレゼントしたいはず。

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