すべては基礎

今は料理の技術が動画で見れるようになって、

誰でも簡単に学べるようになったのはいいけど、

やっぱり体感として基礎をしっかり作るためには、

ある程度の時間を注ぐことが大事だと思う。

基礎とは木に例えるなら根の深さのようなもので、

しっかり張ってないと表向きは立派に見えても

持続性がなく脆弱な木になってしまう。

根は動画を見ただけでは急に伸びない。

でも働き方改革に見られるように、

ただ生産性を向上させようというところだけに

焦点が当たっているような気がする。

時間をかけて技術を習得しないといけないのに、

その場が奪われてしまうのは、未来の可能性を

奪っていると言えなくもない。

基礎とは広義の意味で料理の技術だけではなく、

文章の読み書きや、型と呼ばれるものであったり、

読解力や教養などのことで、もっと言えば

身だしなみや挨拶もそこには含まれる。

便利が加速していることで特に若い世代は

基礎を時間をかけて学ぶ機会が少なくなっている。

文章能力がないままSNSで発信することで、

言葉が乱れてしまったり、読解力がないことで

問題そのものの意味が理解できないと言われたりしている。

とはいえ時代は前に進んでいるので、

どうなることやらと少しの懸念もしながら、

どう変化していくのか楽しみでもある。

日々当たり前のようにこなしている料理が、

自分で思ってる以上に評価を受けるのは、

きっと基礎ができているからだ。

たくさん手を動かして体感してきた。

そこにたくさんの時間も費やしてきた。

レシピだけでは真似のできない自分だけの技術なのだ。

もっと自信を持っていこう。

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