感情の生まれる場所

この前、焼肉屋さんに行ったらオーダーをするのに、

QRコードを読み取って各自のスマホで同時に

注文できるようになっていて驚いた。

注文したならばテーブル横のレーンから

商品がダイレクトに届く。

空いたお皿は常時ロボットが巡回していて、

テーブルの前にきちんと止まって下げ物を促す。

お会計はもちろん自動レジだ。

人に接客されたのは入店の時の席の案内だけ。

いらっしゃいませと、ありがとうございましたは

さすがに人が言ってくれる。

ラーメンの一蘭はたしか機械が言ってくれる。

そういえば一蘭も人とほぼ接しない。

コロナがこの状況を加速させてるには違いないけど、

遅かれ早かれ、人と人の距離はどんどん離れていく。

買い物がネットなのはもはや当たり前になっているし、

対、人が強みでもある飲食や小売業界も徐々に、

身近なところで機械化が着々と進んでいる。

機械化は確かに便利で早くて快適で魅惑的に見える。

だけどその分だけ失われているものは、

人を人たらしめる感情ではないのか。

それは贈与と交換に顕著にあらわれる。

贈与(プレゼント)は感情がこもっているし、

交換(買い物)はお金のやりとりが間にあるだけで、

コンビニで買い物をするのに心は動かない。

お歳暮や年賀状などの贈り物をする文化も、

昔に比べたら極端に減っているように感じる。

時代が生産性や効率に向かいAI技術が発展していくことに

抗うことはできないけど、そればかりに慣れてしまうと

その奥に人の手が関わっていることへの愛情が薄れ、

そもそも相手がいることの想像力を鈍らせてしまう。

無下に、だからダメだというのではなく、

自分の立ち位置を定め、自分が心地いいと思う場所を

探していけばいい。

そうすることしかできない。

人との距離が離れることで、より人と会うことの

希少価値だって生まれてくるかもしれない。

その感覚が今後どうなっていくのか楽しみでもあるけど。

それにしても感情の生まれる場所はどんどんなくなっていってる。

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