今日はパスタランチに、昔一緒に働いてた
アルバイトの子が京都からわざわざ食べに来てくれた。
3年ぶり、いやもっと。
あの人のごはんが食べたくて、とか
あの時のあの味が忘れられなくて、とか
料理というのは、しばしばそんな形容をされるけど、
記憶に残る味というのは、自分にはあまりないから
どんなものかよくわからないけど、
表現として美しいし、体験として持っておくと
何となく醍醐味があるし、豊かなような気がする。
結局、料理は人が作るものだし、
作り手と消費者の距離も近いし、
それが見える分だけ、心も動かされやすい。
コンビニのごはんでは、きっと心は動かないでしょう。
でも時代は便利で早い食事に切り替わっていき、
顔の見えない、作り手の見えない
関係性の薄っぺらい消費が増えていく。
今の子供たちが大人になった時に、
心の豊かさが失われてるような気がしてならない。
また違う何かが心を豊かにしてるのかもしれないけど。
多様な人と選択肢が増えていくと、
一つのところにとどまることが、むずかしくなり
スタバが家でもなく会社でもないサードプレイスを
コンセプトに成功してるように、
これからはサード以上の居場所を
一人でいくつも求めるようになってくると、
お店という存在は重宝され活きてくる。
心地よかったり、心を動かしてくれる場所。
そこに行けばその人に会えるという確実性もいい。
お店は動かない、その場所に在るもの。