もはや料理のレシピは、溢れるほどに存在している。
昔はレシピといえば秘宝のような扱いで、
何年も修行をして、やっとの思いで手に入れたもの。
今はレシピも技術も、動画で丁寧に教えてくれる。
民主化した料理レシピは、時間のない現代人向けに、
簡単に作れるものや、時短料理が注目されている。
いかに早く安く美味しく作れるか。
ましてや自粛期間を経て、外食する機会も顕著に減った。
味覚は文化や環境によって人それぞれ違いがあるはず。
美味しいという表現に、本来正解はないはずなのに、
多くの人が美味しいという基準で、お店を話題にして
旅行や遊びの中でグルメを楽しんでいる。
中には美味しいと評判だから、美味しいに違いないという
バイアスがかかっていることも心理的に否めない。
当然のように料理にはこれといった正解はない。
完結するものでもあるし、永遠に完成するものでもない。
作り手の解釈と線引きと納得で、完成度が決まってくる。
季節によって食材が持つ水分量も変わってくるし、
火を入れる温度やタイミングでも変わってくるし、
味を加えていく手順でも変わってくる。
こうして様々な変数がバランスよく合わさって、
限りなく美味しいに近いひとつの料理が出来上がる。
だから外的情報を遮断して、純度の高い舌で味わうなら
絶対的に美味しい料理は存在しないと思っている。
そのような環境で料理を食べるのは不可能なのだけれど。
結局、レシピや技術という情報が溢れてしまった先に
求められるものは、もう人の魅力しか残らない。
誰がどんな思いでその料理を作っているのか。
そのために必要な信頼や安心や実績は、
長い長い時間が紡いでいくものでもある。