デバイスとしてのお店

お店を始めた当時を振り返る。

新しいお弁当のカタチと、外で過ごす豊かな時間を掲げ

忙しい現代社会において、公園でのんびり過ごす時間は

きっと幸せに違いない、それに気づくためのきっかけに

なればいいなと思って始めた経緯がある。

スタバや無印のように、お店そのものがライフスタイルを

提案しているという在り方に強く惹かれた。

始めのうちはSNSでも公園の良さを伝えるような、

写真や投稿が多く、商品よりも公園の魅力を訴求してきた。

蓋を開けてみると、公園にはシーズンがあり天候にも

大きく左右されるので、不確定要素が多い。

さらには、こだわりのせいで大量に作り、さばくことが

できなかったから気持ちの良い天気の日には、

早い時間に売り切れしまったりで、次第にコンセプトと

理想とする料理論に乖離が生まれていった。

実際、公園よりも家で食べる人が多かったように思う。

パーティーメニューやクリスマスや御節などは、

当初予定していなかったメニューで、お客様の意見も

聞きながら需要を探り、デリバリーや完全予約制など

あの手この手でお店が出来上がっていった。

つまるところ、お客様が求めていて、支持されていたのは

自分の手から生まれる料理で、そんな当たり前のことを

最後の方になってようやく実感できた。

お店が箱としてのデバイスとするならば、iPhoneが

アプリをインストールしたりアップデートするように、

同じ人間が中身や内容を変えて、料理を作るというのは、

また違う可能性を秘めていると考えるに至った。

時代の追い風もなんとなくその方向に向かっている。

関連記事

  1. いつか終わりがくること

  2. 優しさとは想像力

  3. ちょっとした未来のはなし

  4. テイクアウトの問題点

  5. 見えない影響

  6. 人が見えるデメリット