料理を始めたばかりの頃は、熱心に新しい味を、
自分だけの味を見つけようと意気込んでいた。
時代的にも創作料理がトレンドで、お店も多かったし
将来、自分でもそんなお店がしたいと思っていた。
音楽が音の組み合わせで成り立ってるように、
料理も食材や調理法の組み合わせで成り立っている。
何と何を合わせたら美味しくなるか、
どう調理したら美味しくなるか、考えるのも作るのも
仕事と思えないくらい楽しく取り組めていた。
あの頃は、それで評価を受ける環境も整っていた。
反対に、若さが織り成す無謀さゆえ視野も狭く、
自分がどう料理を作るかしか見えてなく、
お客様がどう感じてるかなんて考えていなかった。
お店とは、料理も接客も空間も雰囲気も、全部の調和が
とれていて、なおかつそれらは手段でしかなく、
最終的にお客様によろこんでもらうのが目的だと、
そう気付いてからは、前のような料理に対する熱心さは
徐々に薄れていってしまったように思う。
お店に関わる料理以外のことに興味を持ちながらも、
生業として料理をしているので、しっかり考えながら。
次第に新しい料理や、新しい味の組み合わせといった、
足していく考え方よりも、引いていくという考え方に
巡り巡って落ち着いたような気がする。
事実、以前のレシピの整理をしていても、必要最低限の
味付けになっていることにあらためて再確認する。
普遍性を持ったものは料理だけと言わず、
どれもシンプルで洗練されていて、飽きのこないもの。
例えば白米は毎日食べても飽きないくらい、
究極にシンプルで、応用できる料理も多岐にわたる。
グルメもこれだけ情報が溢れるようになって、
新しい味が出尽くしていて、見栄えや盛り付けで
勝負せざるを得ない競争にもなっていて、
巡り巡って帰ってくるのは基本の確かさが、
これから求められるのではないでしょうか。
王道には王道になれたわけがあるし、
たくさんの人を安心させる何かがきっとあるはず。
そんなシンプルを追求して表現できればと思っています。