世の中には美味しいものがたくさん溢れている。
どんなお店も、もはや美味しい料理はドレスコード。
会話の中では、どこそこのお店が美味しいという言葉が
比較対象になっているけど、ジャッジしている要素が
美味しいだけとは限らない。
店構えのオシャレさや、盛り付けの見栄えっぷりで
判断しているのは、なんとなく違和感を感じてしまう。
美味しいがコモディティ化したとはいえ、
本当の美味しさがどこから生まれているかを
見失ってはいけないと思う。
ちゃんと料理に向き合ってる人が、
もっと報われてもいいのにと思う。
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美味しさを構成する要素を分解してみるならば、
食材の質、それを作る生産者の想い、
料理をする人の探究心や試行錯誤、かけた時間、
お客さんによろこんでもらいたいという気持ち、など。
普段、何気なく食事をするだけでは、
それらはなかなか見えるものではない。
基本的にはどこにも書いてないし、
誰も言ってないし、誰も教えてくれない。
日本人は表に見えない努力を大切にする美意識もある。
なおかつ、ものづくりに携わる人は、
発信に不器用な人が多いようにも思う。
見えないからこそいいものでもあるけど、
もっと見せれば、わかれば、知れば、
美味しさに深みが出るような気がして仕方ない。
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歌や映画や絵画も、一回体験しただけでは、
本当のよさにはなかなか気づけない。
何回も試すうちに理解度が深まっていく。
でも今やコンテンツはたくさん溢れているので、
同じものを繰り返す時間もあまりない。
ひとつ理解度が飛躍的に深められる方法があるとしたら、
それは、わかりやすい解説だと思う。
要点がまとめられたいい解説を聞くと、
興味がわくし、体験してみたい動機に十分なりうる。
大事なのは解説を聞きたいと思える条件が、
好きな人、信頼できる人でないといけない。
大まかに言えば、口コミの原理もそういうことだろう。
深みのある美味しさが伝わる可能性は、まだまだあるはず。