何事においても結果を出さないといけない世の中。
そういう社会の中に生きている。
学校の成績、受験、就職、資格、何かの賞、売上。
結果を出すことが目的となってることで、
努力をしてがんばれるし、成長もできる。
でもそれらを到達したら終わり、にしてしまうと、
もったいないような気もする。
いい大学に入って終わり、いい会社に就職して終わり。
それが見栄に起因してると余計に厄介で、
自分のためではなく周りから評価されることが、
目的になってしまっている。
それはほとんどが数字で表せる価値で、
他者が判断しやすいようにできています。
不確定要素がたくさんあるこれからの時代において、
結果の価値もきっと変動していくので、
その先にある目的がとても重要だと感じています。
こういう世の中にしたいから、
この大学に行って、この会社に就職するや、
伝えたいことがあるから、この職業が適しているとか、
そういうことが意外と自分で気づけていなかったり。
例えば自分は、料理やお店を通して
相手によろこんでもらえることを重視しているし、
究極はそれが料理でなくてもよかったのかもと思える。
相手によろこんでもらえることは数字では計れない。
だから評価もされづらいし、終わりがないし、
行為そのものが充足感につながっている。
つまり、取り組んでいる姿勢こそが大事で、
自分にしかわからない領域でもある。
子供の運動会で結果はどうであれ、
一生懸命がんばってる姿勢に感動したり、
大学受験で落ちたとしても、
努力した軌跡こそが美しかったりする。
アルデンテが美味しいのではなく
アルデンテに仕上げようとする姿勢が、
アルデンテを美味しくさせていたり。
心が持続的に動くのは結果よりも、
何か物事に取り組んだ姿勢の方にあるのでは。
そしてそれは今すぐ作れるものだったりする。
だって自分の中にしか生まれないものだから。