人の悩みはほぼ人間関係だと言われてるくらい、
良好な関係を築くのは容易ではない。
個人的にもいろんな失敗をしてきたし、
未だにうまくできてる自信がさらさらない。
人格形成は幼い頃の環境で、
ある程度出来上がってしまうものだし、
大きくなるにつれて自分を変えるのは、
むずかしくなってくる。
自分を変えようと思ったら、よく
住む場所、働く場所、付き合う人を変えようと言われる。
つまり環境を変えるということで、
それは自分で意識的に動かないと何も始まらない。
それくらい人は環境の影響を大いに受けていて、
どの場所に生まれるか、誰に育てられるかで
ほぼ人間が決まってしまう。
自分をつくっているもの、何を基準として世界を見てるか、
偏見や思い込み、馴染んだ文化や価値観、
人生は自らが選択しているようで、
意外と決められているような気もする。
だから人と人の衝突は相容れない問題だし、
本当に無理なら逃げたり閉じたりするしかない。
簡単には逃げられない親子関係は一番厄介だけど。
でも選ぶ権利は自分にある。
変われる可能性も自分にある。
相手を変えようと思うのはおこがましい。
過去には、相手のためを思ってとった行動が
裏目にでることがほとんどだったと振り返る。
人は少なからず誰しも自分が世界の中心にあって、
時に自分の世界観を相手に押しつけてしまったり、
優しさを振る舞うのも自分の利益のためだったりする。
よく思われたい、評価されたい、認められたい。
差別などの社会問題も、人が作られる特性や、
凝り固まった思い込みや、生まれ落ちた環境に
よって支配されてるに過ぎないと思うと、
本当は誰も悪くないし、誰のせいでもないのかも。
うまくまとまった気がしないけど、
よりよい世界になれる可能性があるとするならば、
人が環境によって作られていることを知り、
仕方ないものだという俯瞰的な視点で世界を捉え、
他者を理解したいという姿勢で、
他者に伝えようとすることが大事だと思えた。
きっと他者を理解した先に自分への理解がある。