からっぽになる

大人になってくると知識や経験が増える一方で、先入観や

見栄が重なるように純白だった心の表面を覆っていく。

こうでないといけないや、こうするべきだとか、相手の顔

色を窺ったり、周りからどう思われているかを気にしたり。

この社会に生きている以上、大人ならだれにでも打算的な

一面があることは否めないと思う。

固定観念の外に出るのはとてもむずかしい。

自分にとって普通にできていることが、意外と人から賞賛

されるように、人は当たり前の世界を当たり前だと認識し

ていないから。

若い頃はなんでもできると思い込み、強がっては誰かに何

かを頼ったりお願いすることがとても苦手だった。

その結果それなりに失ってきたものもたくさんあって、そ

こから学べたやさしさや強さもまたあって然り。

決して無駄なことはなにひとつないと思うけど、勉強代に

してはいささか高くついてしまったきらいはある。

歳を重ねて感じるのは、いかに固定観念の外に出れるか。

自分はただのからっぽの入れものなんだと思えるくらいが、

いろんなことを吸収できてちょうどいいような気がする。

わかったつもりにならない、相手を尊重する、違う価値観

を受け入れ相手の意見に耳をすます、謙虚な姿勢こそが大

人のたしなみなのではないのか。

そう考えると料理も同じようなもので、いかにからっぽに

なれるか、自分の存在を消して食材のありままの味を引き

出しつつも、その中でどう自分を表現していくか。

予定も時間も頭の中も、ある程度からっぽのスペースを残

しておくバンラスはとても大切だと思う。

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