わかりやすさの行く末

今の時代は情報が目まぐるしく入れ替わっていくので、

いかにわかりやすく伝えるかが大事だと言われている。

インターネットの世界なら、最初の画面で相手の興味を

惹きつけるようなデザインであったりとか、

購買欲を促すライティング技術であったりとか。

たった数秒間の戦いが勝負の分かれ目。

必然的にみんながその方向に向かっているということは、

いかに注目を集めるかにどうしても意識が向いてしまう。

それってある意味で本当に伝えたいことが隠れるので

本質的でないような気がする。

人は基本的にネガティブなことの方に注意が向くから、

ネットニュースではあえて煽るようなタイトルをつける

ことでアクセス数を稼いでいたりする。

きわめて商業的になってしまうということ。

もちろん相手にわかりやすく伝えることは大事だけれど、

解像度をさらさらにしてしまうと心には響かない可能性が

あるような気がしてならない。

アイドルの歌より、シンガーソングライターの歌う歌詞の

方が心に残るし、テレビやYouTubeの動画より読書で得ら

れる体験の方が深く考えさせられる。

受動的か能動的かの違いと言えるかもしれない。

わかりにくいことに出会うことは考える機会になる。

どういう意味だろう、なぜそうなるんだろうと。

それを自分の頭で理解した時にはじめて、

自分ごとの体験として残っていくのでは。

でも、むずかしすぎても人は離れていくし、

わかりやす過ぎても心に残らないし、

結局バランスが大事だということ。

それにしても今はわかりやさで溢れているので、

考える習慣がなくなっていくのは少しさみしい気がする。

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