フィクションの中で

久しぶりに小説を読んだ。
普段は仕事にまつわる本とか、興味関心のある本ばかり。
どうしても生産性や役に立つこと、意味のあることを求めてしまう。
小説が意味がないわけではなく、優先順位が後回しになっているだけ。
読み始めると違う世界に浸れるし、表現の勉強にもなって得られることは多い。
小説や映画や舞台、人はどうして物語が好きなんだろう。
よく使う”おもしろかった”という評価は、何がおもしろいのだろう。

ノンフィクションは事実、フィクションは真実。
小説の中では、登場人物が言いたいことを言う。
表ではコンプライアンスに引っかかる言葉も平気で言わせることができる。
虚構の中の自由さが人の心の奥底にある表層化していない感情に響くのかもしれない。
物語とはいえ、そこにあるのは何かしら根源的に求めてる真実なのだ。
著者の言葉の解像度によって、各々の感情を当てはめて共感し影響を受けている。
普段何気なく過ごしているワンシーンも、言葉や感情のバリエーションを知ることで見ている景色がより鮮明になる。
経験や年齢によっても解像度が上がっていく。
ものの見方と視野の広さが身につくのが小説のいいところ。
そんな自分の成長に合った共感が”おもしろい”と言う表現につながっているのかも。

ひとりの人生はたったひとつの物語。
いろんなステージやイベントを乗り越えて、いろんな感情になって、いろんな人と出会っていく。
たとえ立派なものでなくとも、誰かに”おもしろかった”と言ってもらえたら最高だ。
自分自身を小説の中の主人公に投影してみたら世界の見え方をあらためて問い直せる。

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