世間体というメタバース

おそらく多くの人が世間体という実体のないものを基準に行動を制限している。
身近な例でいうならマスクの着用がそうだろう。
マスクをしてないことを指摘してくる人はほんとにいるのだろうか。
ごくごく少数の意見が大きな世間を作ってることは往々にしてあると思う。
世間をはじめ、数字の記帳だけでやりとりされるお金や宗教や株、社会や国家など意外と人間は実体のないものに支配されている。
虚構を作ることがホモサピエンスをこんなにも進化させてきたとハラリさんが言っているように、世間体というのは人間にとって必要な概念なんだろう。
それ自体は別に悪いものだとは思っていない。
ただ、周りの人や環境に合わせるようにそれ相応の振る舞いをしすぎるのは他者の人生に目が向きすぎなのではと疑問を感じてしまう。
あくまでもみんなに等しく自分の人生を生きる権利があっていい。
人に迷惑をかけないようにと昭和の人は教えてくれたけど、誰にも迷惑をかけずに生きるのは不可能だと思う。
故意にするのはもちろんよくないけど、自分の信じることをやって迷惑をかけるのは仕方ないこと。
失敗から学べば次に活かせばいいし、失敗に対して人はもっと寛容になって認め合えればもっといい世間が生まれそうだ。
この流れで沖縄の貧困問題の原因は同調圧力にあると言われている。
出る杭は叩かれ挑戦しずらい世間体が、他の地域よりも強く形成されているのはまさに実体のないものに支配されている悪い例だろう。
これは決して人ごとではなく、視野を広げると今の日本の現状を指しているように思えてならない。
歴史的にも地政学的にも閉じた文化なのでそう簡単には変えれないだろうけど、せめて近くの人に優しく寛容に接することは誰にだってできること。
どこか怪しげなメタバースという言葉も世間体とそう変わりはない。

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