文章と料理

文章も料理も似ている。
文章は言葉の組み合わせでできているし、料理は食材や調味料の組み合わせでできている。
何と何を合わせるか、相性を探し、最適を選び、表現する。
その方法論をトレースしているからこうして少しは文章が書けるのかもしれない。
ただ違うのは身体を使うか使わないか。
実際にペンを持って書くならまだしも今ではもっぱらタイピングで事足りてしまう。
人間は身体拡張に心地よさを感じる。
包丁を使うことも、音楽を奏でることも、車の運転をすることも、人類の歴史は身体拡張の進歩だと言っても過言ではない。
(と勝手に思っている。)
だから身体を使わない書くことは心地よくないし、とても脳に負荷がかかる。
料理は時間をかけた分だけ進んでいることが確認できるけど、書くことはそうはいかない。
一文字も進まなかった時の虚無感はまるで人生を無駄にしたようにさえ感じてしまう。
(今がその時。)
でもいい言葉の表現が出てきた時の感触は、料理を美味しく作れた時よりも大きい。
それに料理は食べたらなくなるけど、文章はずっと残っていく。
積み重なっていることが確認できることは救いになる。
やっぱり文章と料理は似ていない。

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