自分の歩幅で

資本主義経済とは、あきらかに”偏り”が生まれるようなシステムになっているように思います。
そう簡単には抗えない人間本来の欲を増長させるような力学がはたらいているからです。
資本主義の限界だとか、ポスト資本主義だとか、より人類にとって世界がよくなるような倫理観や道徳を持ち合わせた考え方も生まれていますが、新しい技術や新しいフロンティアや新しい金脈を探そうとするエネルギーの方がどうしても強く作用する印象があります。
実際に地球にはもう物理的な未開の地はなくて、人間は宇宙や仮想空間に可能性を求めている始末ですから。

スポーツにそれぞれの競技があって、それぞれのルールがあって、それぞれに使う筋肉が違うように、資本主義という種目は今のところ世界で最もメジャーなスポーツで、そのルールの範囲内で結果を出せる人が富を得ます。
生産性や効率といった筋肉を鍛えることが求められるわけです。
その中では投資家やテック企業がどうしても有利で強くなっていきます。
偏りが生んだ格差は情報化社会において、消費者が盲目的に承認を求めるような行動をとってしまう危険性を孕んでいます。
いいね数やフォロワー数や再生回数に意識はひっぱられますし、周りに評価される受けがいいものを作ろうとします。
そうすると伸ばし方や増やし方や稼ぎ方のようなハックするノウハウが生まれ、ますますプラットフォーマーのアルゴリズムの奴隷となるわけです。
こうしてかろうじてこの世界を客観視しているつもりですが、全人類が意思とは裏腹に大きな歴史そのものに動員されているような気もしています。

少なからずそんな危うさに気づいた先人たちは声を上げ行動して警鐘してくれています。
資本主義のおかげで今の豊かさを享受できているのは確かですが、それでも逆らえない蠢く大きな時代の流れの中でいかに外部を見つけられるか。
それは物理的な場所ではなく自分の内側を流れる時間にあると教えてくれています。
速すぎず遅すぎず。
周りを見渡せば足早に通り過ぎていく人たちばかり。
焦らずにゆっくりと。
いかに人生を自分の歩幅で進んでいけるか。
それは自分の歩幅がどれくらいか確認するところからはじまる。

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