早さからの解放

新年はできるだけデジタルから距離をとり自然に身を置いてみた。
豪華な体験もいいけれど、ゆったりとした時間を味わうのもまた贅沢だ。

今は目的地まですぐに早く行ける手段がたくさんある。
飛行機にせよ、高速道路にせよ、技術の進化は便利さをともなって前へ前へと押し進める。
早さの代償は視界が狭まること。
早く動けば、すぐそばにある景色も、かすかな周りの音も、何もなかったかのように消えていく。
山頂にロープウェイで上がればすぐに着くけれど、歩いて登る時の鳥の囀りや木々や葉の擦れる音は聞こえない。
目的地まで高速道路を使えば早く着くけれど、街並みの風景やそこで暮らす人たちの営みは見えづらい。

早いことが正義のように語られる生産性が重視される社会になっているし、人間の脳も楽を選びたがるシステムになっているから仕方ないのかもしれないけれど、何か大切なものを失っているような気がする。
今回ゆっくりと自然に流れる時間を堪能してみて、自分の内側にじゅうぶんな満足感があったことはたしかだった。
なんで今までこんなにも急いで何かを消費していたのだろうと自分を疑いたくなった。

時間はだれにとっても限られた資源なのは紛れもない事実。
だから一見すると時短はいいことのように思えるし、他のできることが増えるかもしれないけれど、その分考えることや感性が奪われているような気がしてならない。
でも歴史を見ても文明はどんどん進んでいくので、この流れは不可逆的でだれかが止められるものでないことも理解している。
美しいものがすぐそばにあるのに気づかないなんてもったいない。
と言っても、美しいものを美しいと感じれる心が失われているなら仕方がないのか。
たとえ一人になっても何にも染まらない感性は保っていたいと思う。

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