職人と偏り

手に職を。
なんていい意味で語られることが多いけど、実際のところ生産性が重要視される今の時代においてはなかなか日の当たらない職業になっていると思う。
それに後天的に選択できるものではなく、ある程度もともと備わっている特性から生まれるような気もする。
もはやそれしかできない、好きだから続けられる、曲げるに曲げれない自分軸を持っている。
定められた運命の道にはじめから分岐点がなかったり。
そんな不器用さも偏りもあるからこそ職人たり得ることもあるのだろうけど。

職人と呼ばれる仕事は人間の”生”と密接に結びついているので素晴らしいことだと思う反面、文明の進歩で需要がなくなってしまうことも避けられない。
昔の電灯に明かりをつける仕事がなくなったように、いくら木を削って耳かきを作ることが好きでもどこかの時点で諦めないといけなくなってしまう。
職人の中でもたくさんの人にその価値を認められる人なんてごくごくわずか。
AI技術の勢いが止まらない今、そんな未来を想像すると手に職をという言葉自体の定義が揺らいでいくような気がしないでもない。
その点において料理という職業はまだまだロボットやAIでは代替できない分野なので、幸か不幸か好きではないけれどできていてよかったと思える。
この先、便利や快適が進みすぎて人は退屈になり、手仕事への回帰がくることを密かに期待している。

職人の生き方は評価が”自分”でなく”自分の仕事”にあると思う。
究極そこには相手に対する見栄や忖度はなく、自分がその仕事に満足したかどうかの尺度で見ていて、最大の関心が作品に対して”いいものができたかどうか”ということ。
自分のやるべきことを淡々と生活に落とし込んで、喜びや楽しみを見出していく。
いろんな職人の方の話を聞いてきてよりそう思う。
そこにある価値は人間にとってとても大切なことだと認識しているので、それをどう表現すればいいのか前からも考えているしこれからも考えていきたい。

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