考える意味

AIの進化がとてつもなく進んでいる。
今日アップデートされたバージョンが話題で持ちきりだ。
いろんなサービスにも組み込まれていて、LINEでもAIとチャットができるようになっている。
すぐにでもAIによって人間の仕事が奪われるとわかっていても、特に日本では雇用を守る力学が強くはたらくのでそう簡単には変わらなそう。
それによって困る人がきっとたくさんいる。
この先どうなっていくのだろう。

世の中は否応なく確実に便利で快適になって生産性は上がっていく。
いいこととよくないことは隣り合わせなのが普遍的な理。
それで失われるのは考えるということだと思う。
すでに検索エンジンができた時点で、多くの人はいつでも調べればすぐにわかるから覚えようとするエネルギーが奪われていった。
おそらくAIはその流れを一気に加速させる。
写真のような使い方は、まさに人間が考えることをAIが代わりにやってくれている。
便利の代償が考えることだとしたら、人間はなんのために存在しているのだろうと思わずにはいられない。
そこに答えなんてないだろうけど人間という生きものの末路がとても興味深い。

技術というのはあくまでも道具であって検索エンジンもAIもどう使いこなすかが大事で、それは人によって差が出てきそうな気がする。
包丁という道具は、美味しい料理を作るための手段であって人を殺めるための目的であってはならない。
道具は使い方次第で手段にも目的にもなりうる。
人間が考えることをAIに任せてしまうのはどうも賛成できない。
考えるのはとても脳に負荷がかかる作業だけど、人間だけができる創造や感動はまず考えることから始まると思う。
AIとの付き合い方を真剣に考えないといけない時代になってきた。

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