
人類が生産性向上に向かっているのはたしかです。
巷に溢れる便利なツールはどれもいかに簡単に早く済ませられるかの競争が行われています。
人でなくてもできる作業がAI技術に取って代わられることは、無駄を省くことになるので大いに賛成だけれど、そのすべてを善きこととするのは注意が必要な気がします。
そもそも善は多くの人の合意形成のもとに成り立っているので、その時々の社会で変動していくもの。
地球環境に配慮することが将来では悪になっている可能性だって十分にありえます。
フェミニストの意見もweb3.0的なカウンターカルチャーも、今の時代における潮流なだけであって絶対的な善ではないはずです。
思い込みは時に危険で対立や軋轢を生んでしまいます。
いかにわかった気にならないか。
いかに自分の無知を自覚できるか。
これまでいろんな哲学者がいろんなことを言ってますが、ソクラテスの“無知の知”が一番最強の真理ではないかと思っています。
生産性向上は人間の一つの欲望だと思っていて、おそらく際限なく追求していくのがあらかじめ備わった本能なのでしょう。
時間が余れば空いた分の時間でまた未来に投資できるので、便利や早さはどんどんと加速していきます。
新しい技術もそれに合わせるように人の手から生まれていきます。
例えば、餃子の無人販売店は善なのか。
自動販売機がすでにあるのでなんとも言えませんが、料理やサービスに関わっているものとして行き過ぎ感は否めません。
例えば、本の要約ばっかりを摂取して読書をしないのが善なのか。
何かが失われているような気がしてなりません。
そう考えると生産性向上を計る指標としては、人や時間の介在する体験価値こそが豊かさや幸せをもたらしているのではと言えそうです。
それを中心に物事を眺めた方がとても人間っぽくて素敵です。
何事も決して善悪だけでは判断できないので、どちらかではなく曖昧さやわからなさを残しておく方が気楽に生きていけそうです。
*何か考えてほしいテーマがあれば気軽にお声がけください。
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