例えば誰にでも数字に意味を持たせることがよくあると思います。
SNSアカウントの文字列やパスワードを作成する時、車のナンバーやコインロッカーの場所を決める時など。
本来なら無作為でいいはずの数字に意味付けをすることで、覚えやすさや納得感を求めるのが人間ならではの特徴です。
ホモサピエンスがここまで文明を発展させてきた理由も、ストーリー理解や意味付けによるものだと言われています。
神話や宗教があることでたくさんの人の心をまとめることができたのは言うまでもありません。
本質的には意味のないものを意味があると理解して“信じることができる”ことにヒントがあるような気がします。
信じる能力があることで他者と概念を共有できるようになるので、言語のやりとりが生まれより明確な意思の疎通ができるようになります。
そこから紐解くと人間はもはや意味付けから逃れられない存在で、信じることから解放されるなら人間を放棄するのと同じことです。
過去の経験があったからこそ今の選択につながっているというのも意味付けの最たるもので、そう信じれることで前向きになれるのがいい側面だと思います。
反対に、誰かが自分に対して何気なく発した言葉を勝手に悪く解釈すると意味付けは悪い側面で発動するので、一概に良し悪しを語れません。
映画や音楽や文学への没入感や共感は、人の心を動かす上で素敵なことですし励みにもなります。
ストーリー理解や意味付けにどんな意味がるのかと問われるなら、一番大きなことは目的を決めれることにあると思います。
目的さえ決まっていれば迷うこともなくなりますし進むべき道も明確に見えてきます。
周りから見てたとえ意味のないことだとしても、自分の中で強く信じることができているならそれはとても幸せなことだと思います。
*何か考えてほしいテーマがあれば気軽にお声がけください。
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