視界においておく

誰にだって言いたいことや伝えたいことがある。

もっとこんな世の中になったらいいだとか、困ってる人を救いたいだとか、居心地のいい場所を作りたいだとか。

社会における善のようなものを少なからず持っている人がいるし、自然と周りにもそんな人が多い。

希望や願いを持てる人生はいいなと思う。

たとえそれが叶わなかったとしても、目印に向かって進んでいく過程で出会える人たちはきっと共通言語で話し合える人だから。

そこに人と人が関わる妙味が存在している。

伝えたいことがあっても今のような大量生産される情報社会では、そのうねりに埋もれてしまう。

だから少々過激な発言にしないと注目されないので、構造的に注意を引くようなコンテンツばかりに関心が集まってしまう。

それでも何か伝えたいことがあるならば発信することから始めないといけない。

簡単に個人が世界に向けて発信できるようになったのはいいけれど、本当にきちんと伝えようとい思ったら内容の精度はやっぱり厳しい目にさらされる。

文章力をはじめ、構成やリズム、統一感に世界観、物事を見る観察力、世界を捉える感度などいろんな要素を考え抜く。

何より安定した質量でコンテンツを生み出し継続していくことがとっても難しい。

本気で伝えたいことがあるならその難しさをクリアしないといけない。

たしかに見渡す限り世界は情報で溢れているけど、コンテンツが100%でなくても何かしら発信をすることできっかけをつくることはできる。

どれだけ声を上げても、振り向いてもらえなくても、気づいてもらえなくても、そこに存在してること、せめて視界の中においておくことが重要だと思うから。

何もないより、あることの意味。

こちら側から伝えたいことを無理に推さなくても、不意に自然と見つかって手にとってもらう方が運命的でもある。

計らずとも出会ってしまう偶発性はとても意味深い。

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