悪は存在しない

だれが悪いか。

身近な喧嘩から、社会の大きな問題まで、自分の正しさを基準に、ついついだれかのせいにしてしまいがち。

人間はどこでも感情の生きものだから、頭ではわかっていることでも身体が暴走してしまうときがある。

目の前で大切な人が傷つけられたときに冷静でいれる人はいないだろう。

そんな出来事を目の当たりにしたら記憶にも傷がずっと残ってしまう。

でもほんとはだれも悪くない。

いい教育を受けれる環境に恵まれなかったり、親ガチャのような言葉があったり、社会構造やシステムの問題が人の気持ちを悪に染めていくことがあるように思う。

有名な例で言えば、ナチスのホロコーストのように上部の指示に従うことを是とした環境においてはユダヤ人を生産的に殺戮することが最適解だったのはわからなくもない。

現代の倫理観で考えれば答えは明らかなのだけれど、自分がその当事者だったとしたら判断を回避できたのか。

それほどに人間の意思は脆くて危ういことを考えさせられる。

悪は環境や構造に起因するというのが個人的な見解だけど、それは世界を大局的に見た場合であって、それでは当事者の気持ちに寄り添えてないような気もする。

瞬間的に見たら悪は存在するのではないか。

悪に手を染めてしまうことを仕方なかった、だけでは片付けれない問題は現代にも随所に存在している。

ビッグモーターの件しかり、食品偽装やその他の不祥事は、おそらくそもそも会社の体質に問題があったり、駄目なことに気づけないほど倫理観が麻痺していたり、自分や守るべきものの保身であったりと、少しの歯車のかけ違いでだれにでも起こりえるような気がする。

その線引きは極めて曖昧で、見るものの視点によっては善の行いも悪に見えてしまうことがあるだろう。

人はみんな正しさを求めながらも常に危うい判断の中で生きてるんだなあと痛感した。

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