ある日お客様と話しているとき、若かりし頃やんちゃをしていて、ろくに将来のことなんて考えずに、社会のことも親のこともなめていたけど、大人になってはじめてその立場その気持ちがわかるようになったと言っていた。
きっとどんな人でもこの手の話については共感しかないと思う。
相手の立場になって物事を考えることはそうそう簡単ではない。
自分が経験していないことはわかりようがない。
当事者にしかわからない感情、それに付随する周りの環境、プライドや責任、判断材料がたくさんある中で、人はひとつとして同じではないそれぞれ唯一無二の体験をしている。
育った環境が違えば、性格も違えば、時代や文化背景も価値観もみんなバラバラ。
国籍やLGBTQ以前に、すぐ隣にいる人とから多様性を考えないといけない。
でもどれだけ考えても考えても、相手の人生を経験していないのでどこまでもわからない。
納得いかないことも、相容れないことも、生きていたら多々ある。
それでも社会全体が均衡に保たれているのは、だれかが受容し譲歩しているからだろう。
もしくは諦めもあるかもしれない。
わからなさをどこまで許容するか。
どの大切を優先するのか。
辛い思いをしてまで相手に合わせる必要はないし、どうしても望めない未来ならば貴重な時間が無駄になってしまう。
なにかを辞めるときはその葛藤が生まれその判断を迫られる。
それでも終わらせたくないとき、それが大切だと思えるとき、できることは限りなく想像を巡らすことだと思う。
どこまでもわからないけれど、わかりたいと想像すること。
その姿勢こそが人の心を動かすのだろう。