種との距離

当たり前のことだけど、農作物は種の状態から収穫できるまでに時間がかかる。

今ではファスト的な農法もあるだろうけど、土を耕すところから種が土壌に馴染むところまでを考えると時間的なスパンはとても長い。

場合によっては何世代にもわたって受け継がれるもので、種自身にとってもきっとそれを望んでいる。

現代の農作物の大多数が使い捨ての種であることを今更ながら認識した。

ある意味で今食べてる農作物のほとんどが人口的な野菜であることを。

目先の利益ではなく、未来にとっていいことを今する、というスタンスを人間は種に見習わないといけないと思った。

種を後世に残していかないとその種が絶滅してしまうということは、人間なら血縁関係が途絶えてしまうということに似ている。

生命は環境に適しているものが生存していく宿命なので、それが善いことか悪いことかを判断するのはむずかしいけれど、目の前に起こっていることを考えるとどこかやりきれない思いではある。

自分自身が料理をしているにもかかわらず、そのことについて深く考えてこなかったことを省みる機会にもなった。

急ぎ足で過ぎていく風景は、大切なものを見失うかのように感情を薄っぺらくしていくけど、しっかりと立ち止まり思考している人がいることに気持ちが通った。

流されないで生きていくこと、大切なことを大切だと言えること、それを伝え行動していくこと。

その信念の強度が人を巻き込んでいくのだろう。

野菜なら食べてわかる美味しさがある。

それと美味しさ以上の価値は現場に行かないとわからないと思った。

情報は簡単に手に入るけど、わかった気になってはいけない、空気や匂いや温度感はその場で感じるものだ。

長い目でみる時間的な距離も、現場との物理的な距離も、種の意思を感じずにはいられなかった。

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