よく男性と女性は違う生きものだと言うけれど、度々わかった気になるものの、最終的にはわかりあえないに行き着く。
男性は話を聞いてない覚えてない、共感より解決を探り、権力や名声を求め、性欲に翻弄される。
狩猟時代が長かったゆえ、そんな性質が現在も残っているので仕方ないとは思う。
いろんな動物がいろんな方法で求愛するように、生物学的な振る舞いには逆らえない。
でも社会は変化しているので、できるだけ適応した方がいい。
中でも今はコミュニケーションの技術が特に重要な社会になってるように思う。
コミュニケーションといっても幅が広くて抽象的だけど、言語的にも身体的にも男女が互いに納得のいくまで意思の疎通をすることが求められている。
解釈が違えばコミュニケーションもただの飾りに過ぎなく、いつまでもわかった気になっていて、違うことにさえ気づかなくなっていく。
時間が経てば経つほどまた取り返しがつかなくなってくる。
目的設定によるのかもしれない。
権力や名声を得る目的のための手段としてのコミュニケーションには長けているけれど、それはどこまでも辻褄合わせに過ぎない。
本質的なコミュニケーションは、それ自体が目的であることに意味があるのではと思えた。
女性はおそらくコミュニケーションのためのコミュニケーションをしている。
それが解決ではなく共感を求める所以だろう。
おそらく時間軸の感覚も違う。
いま意味がなくても後になって意味が立ち現れること。
信頼関係の構築も時間をかけてこそ強度が生まれてくる。
よく男性は定年後に会社の肩書きがなくなれば、何者でもなくなり寂しい思いをすると聞く。
そうならないように、そうなりたくないので、意味のないコミュニケーションを大切にしないといけない。
お店というのはまさにコミュニケーションが生まれる最適な場所のように思う。
(映画「ドライブマイカー」を観ての感想)