“半農”とは、それだけで農業を営みながら他の仕事もして生計を立てること、という意味がある。
それに加えて“半X”、より柔軟に、より自分の好きなことをしようという試みのことを指す。
単純な地方移住や田舎暮らしではなく、自給自足を勧めてるでもなく、この時代を生き抜くための考え方の提唱だと解釈した。
都会にいると欲を刺激される環境が整っている。
広告、キャッチコピー、新商品などの情報で溢れているけれど、手に入れても手に入れても人間の満足は本質的に終わりがない。
どんどん欲しくなり、手放すのが怖くなり、他人と比べては競争に巻き込まれる。
誰が悪いわけでもなく、そんな構造になっているのが資本主義社会なんだと思う。
こういうときにいつも考えるのが「成長」という言葉。
何かに挑戦して社会をよりよくする成長はいっけん正義なようで、何か大切なものを犠牲にしているとしたら正義とは呼べない。
例えば、仕事の生産効率を上げて利益が出たとしても、食事をおろそかにして身体を壊してしまえば本末転倒だ。
もっとこうした方がよくなるよというアドバイスは、本当に相手のことをきちんと理解して言っているのか、自分の世界観の押し付けになっていないか、なんてよく思う。
とはいえ、経済成長の恩恵で今の豊かさがあるので、一概に資本主義社会が悪いものでもない。
ないものねだりを扇動するような社会システムには疑問を感じる。
効能や幸福を語り近づいてくるサービスの数々。
本当に必要なものはそう多くなくていい。
極端なミニマリストも違和感があるけれど、今あるものを長く使ったり、そもそも身近にあることに気づいたり。
感性を鈍く、視野を狭くしないためにも、半分は自然に触れて、半分は自分の好きを追求して、少し余裕のある生き方が今の時代の処世術なのかもしれない。
憧れで終わらすわけにはいかない。