料理人が冥利に尽きること

料理人と言っても幅は広い。

飲食チェーン店で調理に携わっている人、給食を作っている人、オーナーシェフとして独立している人、料理研究家まで。

料理にはいろんな関わり方がある。

それに毎日食べるものだか家族のごはんを作っている(主に)お母さんだってそうだ。

料理を作る人にとってのやりがいを考えてみる。

まずは何より相手に「美味しい」と言ってもらえることだろう。

不思議なものでその一言で労力が報われる。

もしかしたらそれも相手が見えてる場合に限るかもしれない。

不特定多数のお客様を相手にする場合、直接反応がわからない場合のやりがいを考えると、料理を作っている行為そのものに喜びを見出してる可能性がある。

やりがいはなくただ生活のために仕方なく従事している人もいておかしくはない。

料理はひと仕事感、一から十まで自分の手で完結できることにその妙味があると思う。

だからといって分業ですることが悪いわけではないけれど、食材を目利きするところからお客さんの反応を見るところまでに責任を持つことが料理人の本質ではないかと。

いろんな料理人を見てきて、中でも自分で食材を育てるところから始める人は究極だなあと思ってしまう。

それに料理人を極めてる人は、地方などいい食材の近くにお店を構えてることが多いような気がする。

そのやり方は予約制でコース料理で高単価。

それが自分の料理を、作品を、思う存分に発揮できる場になる。

お客さんがお店に食事をする目的として、お世話になってる人を接待するのではなくて、久しぶりに友達に会うではなくて、記念日に訪れるデートでもなくて、ただその人が作る料理を食べにいく、というのが料理人にとって一番の喜びではないだろうか。

その人の世界観に没入したいと考えるならば、好きなミュージシャンのライブや好きな作家さんの読書体験に似ているのかもしれない。

つまりそこの高みにまでお客さん、またはファンの意識を持っていくことが、料理人としてのやりがいの最高峰だと思う。

関連記事

  1. いろんなことが終わるとき

  2. 適していることがすべて

  3. 悪いアウトプット

  4. 自分に合った方法で

  5. 経験してないことはわからない

  6. 料理とデザイン