人にはそれぞれの個性や特長があって、それを人生や仕事に、いかしている人、いかしていない人、にもそれぞれあるように思う。
もしくは自分だけが優れている特徴に気づけてない人もいるだろう。
よく言われるのが、周りからの評価でそれが優れていることに気づくケースで、自分にとって当たり前にできてることが得意なことだったりもする。
でも自分がやりたいことと、周りから認められることが違っていたら少し厄介だ。
ぼくが料理をはじめたきっかけは、楽しかったのが一番の理由だけど、美味しいという反応で褒められることが、存在を認められたようで心地よかったのもある。
周りに褒められることが自分にとっての得意なことのような気もするけど、結果的に料理は自分の目的を果たす手段にすぎなかったことが後戻りできないほどに後になってわかった。
目的を抽象化して、自分の作った作品で相手に喜んでもらう(または変容をもたらす)なら、手段は絵画でもよかったし、教育者でもよかったと思う。
たまたま将来の進路を決めるタイミングで料理にはまり、たまたま手先が器用で、たまたま褒められたことで選んだ道だった。
そうすることで出会えた人がたくさんいるので決して後悔はしていないけれど、自分を最大限にいかせたかと問われるとまだまだ納得のいかない部分があったりする。
自己理解を深めてから将来の進路を決めるほど人生の時間はそう多くない。
行動しながら軌道修正をして、新しい気づきを得て乗り越えていく、まさによりよく変わっていくことが内面的な成長ということかもしれない。
自分の能力をいかせるにこしたことはないけれど、いかすことが果たして正解なのだろうか。
好きなこと、得意なこと、無理なくできること、それぞれのニュアンスは微妙に違う。
それらを仕事や人生で発揮しないといけないという制約はない。
いろいろ知って考えた上で、ありのままの自分でいれること、を選ぶことが重要だと思う。