未来がどうなるかを考えることはとても大事なこと。
これからの働き方、これからの生き方、変化のスピードが早い今、価値観や考え方はアップデートされていく。
すでにスマホが浸透しているように、AIがもっと身近に普及していくのか。
あくせく働かなくても生きていけるくらいに世界は豊かになっていくのか。
フードデリバリー、冷凍食品、バイオミート、昆虫食、流動食、食の分野だけを考えても便利が加速して、古い価値観が淘汰されて新しいものに変わっていく。
次に来るのは何か。
それに備えて今何をするのか。
ビジネス的に未来を予測して先手を打つのはマーケティング的に正しいのかもしれないけれど、個人的には未来を予測してもあまり意味がないように思う。
地震が来るから家を買わないのか。
食事が便利になるから料理をしなくてもいいのか。
メタバースができるから人とオフラインで会話をしなくてもいいのか。
未来がこうなるから自分はこう動く、では受け身な姿勢であって、どこか翻弄されていて、幸福さともほど遠いような気がする。
人間にとって本質的に大切なことは時代や価値観が変わろうとも関係ない。
徳を積み、他者貢献をして、人間としての奥行きや魅力を高める。
歳を重ねていろんな経験をすれば、自然とできることが増えていく。
感動や学びが積み重なり、もっとこうすればいいのにという欲も出てくる。
未来を予測した上ではなく、自分にとって未来がどうなってほしいかを考える方がよっぽど重要だ。
その方が主体的で能動的だし、幸福にもつながっていく。
そのためにもできることから行動して形にしていかないといけない。
実際いま現在この世界は、あらゆることが未来はこうなってほしいと願った人たちの思いで作られている。
すり鉢も、包丁も、フライパンも、飲食店も。
これは未来に備えて行動するのと、未来への切望で行動するのでは似て非なること。
同時に何をしないかも同じくらい大事になってくる。
何をやめるか、何を捨てるか、何を諦めるか、その判断はとてもむずかしい。
本来はもっとシンプルでいいはずなのに、社会システムが余計なモノを作り、余計なモノを買わせて、あたかも装飾することを是とする力学がはたらいてしまう構造になっている。
未来のためにできることは、よく知り、よく見て、よく学び、よりよい明日を思い描き、自ら行動することに尽きる。