サービスしすぎてしまう

お店をしていてあるあるだと思うのが、常連さんや知り合いに対してついついサービスをしてしまうこと。

その動機には、少し余ってるからおまけしてあげようとか、どうせ捨てるならあげた方がましだとか、単純に気持ちとしてのお裾分けだったりと、ケースバイケースでいろんな理由があると思う。

または割引など金銭的なサービスもよくあるはなし。

自分に裁量権があるなら、お客さんへのきめ細やかで臨機応変な対応はホスピタリティと呼ばれる反面、サービスをしすぎてしまうと経営的な面で自己犠牲にもなりかねない。

たとえ余っているものでも、捨てるものであっても、余分に提供する事はその分だけ利益が少なくなるということ。

失っているのはお金だけではなく、ときには時間や感情も含まれている。

いや、信頼関係を築いていくのに失っているという表現ですら的確ではない。

サービスの加減には答えがないから余計にむずかしい。

一方で、サービスしてもらおうという前提で来るお客さんも少なからずいる。

それはそれでこちらのサービス過剰が問題なのでより厄介だ。

お客さまの期待に応えるということは、お客さまの想像を超えること。

超えすぎないように少し上回るのがサービスのプロフェッショナルなのだろう。

 

自分はどちらかというと気前のいい性格なので、サービスしすぎてしまう傾向にある。

媚を売っているわけではなくて、純粋に喜んでほしいという気持ちがあってこそ。

ちょっとしたサービスはお客さまの満足度を上げて、いい印象を与え、口コミになっていく可能性もある。

でもやりすぎてるなあ、と反省することも多々あった。

それでもせずにはいられない気持ちがあることも確かだった。

利用してくれたうれしさ、また来てくれたうれしさ、励みになる言葉をもらえた時のうれしさ。

そんな気持ちのやりとりができるのはサービス業ならではの醍醐味だと思う。

しかし経営的には時にマイナスになってしまう。

 

お客さまの想像を少し上回るくらいのサービス。

それは何もおまけをつけるのではなく、割引をするでもなく、さりげない配慮や、行動の先読みや、思いやりのある声かけでも十分なプレゼントになる。

サービス業は奥が深い。

人間の感情を扱う仕事だからこそ、提供者は人間的に成熟していないと務まらないような気もする。

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