いやな気分にさせてでも

最近、役に立つかもしれないと思い、ちょっとした気持ちで会員登録したサイトからご案内のメールがたくさん届く。

サイトの内容を詳しく閲覧するためには会員登録しないと見れない、ようなことが増えたと思う。

そして大抵無料だったりする。

個人情報の入力だけでも面倒だけど、無料となると少しハードルが下がる。

仕方ないかと会員登録をする。

ご案内メールも頻度が多すぎるとうんざりしてしまう。

どれだけ重要な情報でも、この時点でいやな気分になってしまうのは自分だけだろうか。

配信停止の案内は一番下の方に小さく記載されている。

リンクにとぶ。

そこでスムーズに配信停止ができるならまだいいサイトだけど、さらにログインさせたりデバイスの変更を求められたりしたらいやな気分がさらに増大する。

ログインパスワードを忘れようものなら一生配信停止ができなくなってしまう。

 

からくりとしては、個人情報を取得してマーケティングに活かすことだろう。

数打てばいつかだれかが興味を持ってくれるに違いない。

きっとそういう魂胆だ。

構図としては、お客さんにいやな気分をさせるより、売上の方が上回っていることに合理性が生まれている。

某回転寿司チェーンが、嘘の情報を流してでも集客を重要視するのは、クレームがあることを前提として売上を優先しているように。

社会問題になっている恵方巻やコンビニ弁当の廃棄問題も、機会損失を避けるために捨てることを覚悟で大量に生産するのは売上を優先しているから。

そのような社会システムになってることが根本的な問題だけど、そのサイクルに陥らないための一線はそれぞれ倫理観や道徳観にあると思う。

組織に属していると特に個人の判断はむずかしくなってくる。

 

お客さんをいやな気分にさせてでも遂行してしまう合理性はやっぱり間違えてる。

今一度、倫理や道徳を軸として物事を見ることが大切になってくると切実に思う。

正解がないからこそ語り合わないといけない。

正解がないからこそ思いやりに幅が生まれるのではないだろうか。

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