料理は少なからず手間ひまがかかるもの。
そもそも料理をする以前に、メニューを考えるところから、買いものをして、下処理をして、調理をして、ようやく相手に食べてもらえる。
工程も多く時間がかかり、めんどくさがりな人間の性質には向いていない。
料理が好きな人は楽しめるけど、苦手な人はやっぱりめんどくさいと思う。
それでも料理を作る役割に当たっている人は、苦手でも仕方なく作らないといけない。
自炊の方が安くすむから仕方なく作れているけど、安価で簡単に食べれる料理が買えるようになると、料理を作る人はきっと減っていくだろう。
そうなると逆に料理を作れることの価値が上がるかもしれないけれど。
料理ひとつとっても簡単にできるものもあれば、むずかしくて工程の多いものがあって、美味しさともそこまで相関していない。
魚の塩焼きもビーフシチューもどちらも美味しい。
ところが客商売となると、わざわざ体験にお金を払っているのだから、家庭では作れない手間ひまをかけた料理を提供しないといけない、という行動心理が生まれてしまう。
例にもれず、そんな思い込みがベースにあるので、ひとつひとつの仕事に丁寧さや誠実さで向き合って取り組んできた。
せっかく選んでくれた気持ちを、気持ちでもって返さないといけない。
一方で、料理に時間をかけ過ぎてもどこかのラインで自己犠牲になってしまう。
気持ちの部分は単純に対価では表せない。
あくまでも商売として料理をやる以上は、そのラインの見極めがとても重要であることを痛感した。
でも、手をぬけないことがアイデンティティにもなっていたので、そこに正解はないのだろう。
結果的に丁寧さや誠実さを感じとってくれたお客さまばかりだったように思う。
それがきちんと伝わるのが料理なんだと思う。