苦しいけど楽しい

何をするにしても時間がかかってしまう。

普通の人が簡単にできることを簡単にできない。

簡単にこなしているようでものすごく時間をかけている。

時間に限りはあるけれど、考えたり覚えたりする脳みそにも限りがあると思っている。

料理ひとつ作るにしても事前に決めるということがどうしても苦手で、日が迫っている直前になってようやく決めることができる。

いざお客様に提供するまでに必ず間に合わすことができているのは自分でも不思議なくらい。

 

あれこれ迷ったり悩んだり、やるべきことがなかなか進まない時間ほど苦しいものはない。

もっと事前に準備していたらどれだけスムーズで楽だろうかと考えたことは枚挙にいとまがない。

脳や身体が動き出すためのエネルギーを蓄えるのに時間がかかるといった感覚だ。

だからといってその過程において何もしてないのではなく、常に電源は入っていてやるべきタスクとして管理されている。

それは何も料理のメニューだけではなく、あらゆるやるべきことに当てはまる。

特に文章を書く作業は書き始めるまでにかなりのエネルギーと時間が必要になってくる。

重い腰が上がらない、という表現が適切かもしれない。

 

このことは行動経済学で「時間割引率」という言葉で語られる。

頭ではわかっていても行動がともなわないとき、人は選択を迫られている。

今の利益を考えるか、未来の利益を考えるか。

結局先のばしにするのは今を楽にしたいから。

エスカレーターは楽だけど運動にはならない、階段を使えば将来的には身体にとっていいこと。

それでも今の楽を選んでしまうのが人間の本能であり欲だから厄介なのだ。

将来を想像して行動する。

そんなことは誰でもわかっている。

 

とはいえ、少し違うのが創作においては今を楽したいという感覚ではない。

いいアウトプットをするための最低限必要な助走期間であり、そこに苦しみは伴うけれど出来たときの喜びはなにものにも代えがたい気持ちよさがある。

それをマゾヒスティックな性質と呼ぶ人がいるかもしれないけれど、そうではなくクリエイターの宿命だと言いたい。

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