生活のために働く仕事のことをライスワークと言ったりする。
望んでいない仕事、仕方なくやっている仕事、誰かを守るためにやっている仕事、そんな風に働いている人はきっとたくさんいる。
好きなこと、やりたいことを仕事にしてうまくいってる人はほんの一握りだろう。
そういう人たちはメディアなどに露出することで輝いて見えるけど、その実態はどこまでもわからない。
というか、体裁を守るために何かを犠牲にして無理をしている人は意外と多いんじゃないかと思っている。
基本的に食べていくためには仕事をしないといけない。
大半の人が労働をしている。
労働とは、自分の人生の時間を資本家に提供して、その対価としてお金をいただくこと。
未開の地でない限りみんな等しく資本主義社会というシステムの中で生きている。
この世には2種類の人間しかいなくて、資本家か労働者か、労働が嫌なら資本家にならないといけない。
資本家になるには自分で起業するか、大きなお金を動かすか、これもまたハードルが高い。
それにこの世界の仕組みは残念ながら富めるものがより富むようになっている。
環境に恵まれず社会的に弱い立場の人たちはどうよりよく生きていけばいいのだろう。
ひとつには世界の認知と解釈の問題だと思う。
ものの見方、捉え方、考え方、視点を変えれば目の前の景色を変えることができる。
弱者の負け惜しみかもしれないけれど、別に何者にもならなくても、強者にならなくても、楽しく幸せに生きることができると思う。
もうひとつ厄介なのは周りと比較してしまうこと。
少なからず山にでもこもらない限り普通に生活しているだけでいろんな情報が入ってくる。
社会は人と人との関係で成り立っているので、何かしらのコミュニティに属すことになるから。
どこに住むか、だれと関わるか、どんな仕事をするか、親ガチャ問題、運といえば運でしかないけど、自分で選ぶ余地も多少は残されている。
そのためにも知識や教養が欠かせないのではないか。
その武器をもって自分の人生を選んでいく。
食べていくためだけに生きるのはどこかもったいないような気がする。