社会との距離感

成長したい。

よりよくなりたい。

今よりもっと。

多くの人がきっとそう願っている。

そんな欲望はどこまでが本能で、どこまでが社会システムによるものだろう。

どんな生命も生きようとし、繁殖しようとし、種を存続しようとする。

そのエネルギーを欲望と言っていいかどうかはむずかしい。

反対に現在の社会システムである資本主義的な考え方から言えば、未来を予測し、お金を増やし、生活を豊かにすることが幸福のゴール、と思われている気がする。

しかし、どこまでも富や名声、権力や承認欲求、といった人間らしいエゴから生まれる欲望がベースにあるように感じる。

目先のことだけ、自分のことだけを優先した結果、地球の環境汚染をしているにもかかわらず。

 

成長したい。

よりよくなりたい。

今よりもっと。

は、社会システムに組み込まれた考え方、ある意味で洗脳と言えるかもしれない。

その枠組みを外して物事を考えることは簡単ではないけれど、成長しないといけない、生活レベルは上がっていかないといけない、など社会圧がかかっていることは確かにある。

むしろ無目的に生きていたらダメ人間だと周りからレッテルを貼られる。

社会の役に立つこと、他者貢献すること、助け合って生きること、もちろんどれも大事なことだけど、これだけたくさんの人がいるのだから向き不向きの問題があるので、押し付けるのはよくないと思えてくる。

誰にでもある自分にできないことが、たまたま社会性であったから生きにくいだけなのに。

 

仕事をするということは、誰かの役に立っているということ。

その社会の歯車に乗っかってしまえば、必然的に発展や成長に寄与することになる。

そうして、しなければならない、が知らず知らずのうちに所与のものとなっていくのだろう。

果たして必ずしも社会の役に立つことが正解なのか。

生物学的に言えば、生まれた瞬間に目的は達成している。

あえて意味を与えるならば、存在しているだけで価値がある。

たとえ社会と関わっていなくても、その存在を知った人が考えを巡らし問題意識へと変わっていく。

社会と適度にゆるく関わり、自己完結する幸せを求めることが、これからの生き方のトレンドかもしれない。

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