生の質感

先日、兵庫県豊岡市のイベントに出店した。

宝塚から車で約2時間もかかるので、いつものお客さんに来てもらうというより、地元の方々に料理を食べてもらたらそれで充分だった。

最近は「地方」に興味があったので、本を読み、勉強をしていたところ、奇遇にもイベント出店の声がかかり、売上どうこうより実際に現場の空気感を中に入って感じるにはとてもいい機会になった。

豊岡の食材を調達するため別日にも伺い、案内人の方に数件の農家さんを紹介してもらえた。

オーガニックな野菜に考え方、顔の見える関係性、人と直接“会う”ということ。

都会でいくら生産者を紹介されても、たとえラベルに顔写真が載っていたとしても、心の底から響かないのは、きっと人と人との距離の遠さだろう。

都会と地方の関係は当たり前に、この人と人との距離の違いだ。

人と直接会うことで受け取っている情報は頭で理解できるものだけではなく、目に見えないところでいうと、表情や匂い、考え方やこだわりもきっと伝わっている。

言語化できない世界、むしろ言語化することで陳腐化してしまう世界が地方にはあった。

嘘がなく忖度もない人間味のある純度の高い優しさを感じた。

二元論で語るのはよくないけれど、都会の人は自分が他者にどう見られているかをすごく気にしている。

ステータス、高い買いもの、負けないように嘘をついてまで外側を着飾っていく。

いったい何と競争しているのだろう。

 

生産者から直接受け取った野菜を料理してイベントでその生産者に直接食べてもらう、という体験も新鮮だった。

畑で嗅いだ野菜の香りは格別だったし、フカフカの土の上を歩く感触は暖かかった。

だから余計にいかに美味しく提供するか、プレッシャーがとても大きかった。

でもその感覚がきっといいのだろう。

失敗はできない、いいものを作らないといけない、というエネルギーが料理に念としてこもる。

混じり気のない気持ち。

背筋を正される思い。

目に見えないものがきちんと伝わっていく。

それこそが料理は愛情と言われる所以だろう。

 

今いろんな地方に新規移住者が多いと聞く。

豊岡でもそれを感じた。

新しい人たちが前向きに街を盛り上げている。

昔からいる人も新しく来た人も自分の住む街をいかに愛しているか。

土地への愛着は一朝一夕に作れるものではないから、もっといろんな土地を見てみたいと思えた。

多様でいろんな価値観が溢れる時代に、いかに自分が心地よい場所を見つけていくか。

選択できる自由、可能性は開かれている。

豊岡はただただピュアな人と関われることに心は穏やかだった。

関連記事

  1. その食事、強風につき

  2. 作り手の心意気

  3. 姿勢が伝わる

  4. 社会との接続

  5. 時には起こせよムーヴメント

  6. 子供の自主性と教育のあり方

0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x