若者が将来どんな仕事に就くかを考えるとき、職業で決める人が多いように思う。
自分は何が好きで何をしたいのか、学校の中にいるだけでは、頭の中で考えるだけではなかなか見つからないもの。
強烈な原体験、辛いことや悲しいことを当事者として経験しているなら少しは方向性が定まりやすい。
結局、一度社会に出てみないことには自分の好きや向いてること、本質的に大切していることを見つけるのはむずかしい。
職業はあくまでも手段に過ぎない。
その職業を通して何をしたいのか、自分がどうありたいのか、の方がはるかに重要な気がする。
それが見つかっていないと迷うし仕事も続けられない。
まだ給料がいいから、将来が安定しているからその仕事に就いている、はある意味で目的がはっきりしていて賢明だと思う。
だから華やかそうだけでケーキ屋さんや芸能人を目指してしまうと挫折してしまうのだろう。
料理を通して何がしたいのか。
長い間考えてきてそれがわかった今、代替の手段は他にもあって、その表現は究極料理でなくてもいいと思っている。
もう一方で、自分ができること得意なことを求められて仕事や職業を選ぶことも多い気がする。
周りから褒めらること、期待されること、喜んでもらえること。
それが仕事になるかは別として誰にでもひとつくらいそんな経験があると思う。
でもそれは個人から生まれる本質的な衝動でないので、何かをきっかけに自己と向き合った結果、齟齬が生じるケースはあるのではないだろうか。
他者もしくは市場に求められることと自分が本当にやりたいことのジレンマ。
それに往々にして、求められることは対価が発生して、やりたいことは対価が発生しずらかったりする。
ビジネスかアート、と置き換えてもいいかもしれない。
すぐに役に立つか、すぐに役に立たないか、と置き換えてもいいかもしれない。
例えば誰が買うんだというような難しい本を書いている人たち。
絶対お金にならないのに、著者はやりたくてやっている。
でもすぐには役に立たないそういう活動のすべてが用意されていて、それに誰かが影響を受けて受け継いでいって、今の人類の叡智があるのも事実なのだ。
今評価されることばかりをするのではなく、長い時間軸で見たときに大切だったことはたくさんあって、その恩恵を受けていることに気づくとき強く心を動かされる。
自分もその一端を担いたいと。