どの街に行っても昔ながらの商店街はシャッターの降りた閑散としたものか、その姿さえなくなってしまった。
軒を連ねていた個人商店は大型ショッピングモールの出現で廃業に追い込まれ、その末路は噂話にもあがらなくなってしまった。
わかりやすいのがAmazonというビッグテック企業が街のリアル書店を駆逐していったことだろう。
多数の小さな集合体が均等に関係を保ち、互いに循環していくようなシステムで生態系が機能していたところに、大きな集合体が参入することによって関係性が崩れて、もう後戻りできないことを物理学用語で縮退と言うらしい。
大きな集合体が(一時的に)利益を出しているので経済が活性化しているように見えるけれど、小さな集合体がなくなっているので、結局は富の奪い合いであり格差の始まりになっている。
このことは生物界の絶滅にも当てはまるだろうし、テック企業が台頭しているようにどの産業でも起きている時代の傾向に思える。
大事なのはもう前の状態には戻れないということ。
その考えると飲食業界を想起せずにはいられない。
ファストフード、チェーン店、コンビニなど、大衆に合わせた市場経済的な食が中心になってくると、小さな個人飲食店は時代を俯瞰して見るに圧倒的に不利でしかない。
小さな個人飲食店がたとえ美味しくても、大型店舗のように安価で利便性がよければ人々はそちらへ流されてしまう。
そう言ってる自分でさえもたまにはファストフード店を利用しているのだから。
企業のブランド力や記号もまた集団心理を誘発する。
スタバを利用している自分、評判のいいレストランに行った自分、流行りを知っている自分、というように、もはや味や技術はそこまで重要ではなくなってきている。
大衆に受けることが勝ちであり、その地位を築くことができたら勝者になれる。
食だけではない。
iPhone、ユニクロ、無印、ニトリ、みたいに、なんとなくみんな同じようなファッションで同じような暮らしをして画一化してきている。
きっと考え方も同じようになってしまえば、ある意味で人である価値はどこにあるのだろうか、と思わずにはいられない。
縮退がもたらす画一化は少し恐ろしくもある。
後戻りできないのだから理性を保ち抗うしかないのだろうか。