進化や時代の流れは歴史を辿ると結果論としては必然のように見えるけど、未来がどう変わっていくかを的中させることはかなりむずかしい。
というか誰にもわからない。
たしかにファッションや食で流行を仕掛ける人はいるから、その程度のことなら一部の人たちが市場を操作しているかもしれないけれど、大きな価値観や行動様式の変化は誰かが恣意的に作っているものではなく、社会がまるで意思を持っているかのように変わっていく。
意外なことに時代は技術が先にあって人々の行動が変わるのではなく、人々の願いや希望が先にあって技術が後からついてくる。
未来がこうなったらいいのに、という想像力が現実になっていく。
インターネット技術があったら便利なのに、とかAI技術があったら効率がよくなるのに、といった思いの起点から、それを作るに至る試行錯誤が始まってきた。
つるんと丸みを帯びたデザインが未来を感じさせるように、絵や映画などの描写が人々にイメージを与えてきたことによって、未来はこういうものだという認識が形成されていった。
つまり未来はこうなってほしいとまずは頭の中で描くことからしか変化は生まれない。
歴史を見るとそれはたった一人の想いだったりもする。
現状に満足して何も思わなかったら未来は何も変わらない。
こうして時代が変化しているのは現状に違和感を持っている人たちが、このままではいけないと奮起して少しずつバトンを渡すようにして変わっていってるのだ。
未来がこうなったらいいのに、社会をもっとこうしたい、は少なからずだれもが思っているかもしれない。
それがファーストステップとして間違いではないけれど、実際に行動している人はきっと少ない。
どこかでどうせ変わらないんだからと諦めてしまうのが一般的な考えでもある。
そしてそう簡単に時代の大きな流れは現実に変わらない。
よほどの歴史に名を残す偉人かカリスマにしか無理だろう。
とはいえ偉人が変えたように見える裏には連綿と続く小さな想いの積み重ねでもあったりするのだ。
つながれたパスで最後にゴールを決めた人、のように。
これをやってて意味があるのだろうか、なかなか成果がでないこと。
それぞれの分野で望む未来に対して小さな活動をしている人がたくさんいる。
しかし往々にして現代社会では資金が枯渇してしまうと続けることができなかったりする。
でも誰かがどこかで見ていて、何かの拍子に脚光を浴びる可能性はゼロではない。
だから自分が変わってほしいと望む未来があるならば行動し続けないといけない。
まずは頭の中で描くことからだけど、たとえ小さくても行動することがやっぱり重要だと思う。
結局は自分の行動に信念を持つことなんだろう。