戦争を考える

戦争とは当たり前によくないこと。

と言えるのは今の時代に生きているからそう思えるのであって、たとえば戦争をしている時代に生きていたとして一個人が戦争を止めることなんてできない。

貴族が給料を払って兵士になる傭兵制ならまだしも、国の要請で参加させられる近代の戦争は人権どころか数としてでしかみなされない。

戦争はそれくらい個人の人生を大きく、しかも強引に変えさせられるほどの強制力がある。

そして今もそれは起こっているし、これから先も自分が当事者にならないとは言い切れない。

実際に世界の各地で戦争は続いている。

日本にいると距離が遠いのでいまいち実感がわかないのも仕方のないこと。

 

今でも戦争映画は作られているし、書籍も新しく出ている事実は、きっと人類にとって忘れてはいけないこと、という警鐘なのだろう。

なぜ戦争が起こるのか。

その要因は様々で複雑で、一人の号令で始まることもあれば、自然に、仕方なく始まることもある。

歴史を俯瞰的に見ると誰にも避けられないもの、運命のような、必然のような、という見方もじゅうぶんにできてしまう。

学べば学ぶほど当時兵士として生きた人たちに対して何とも言えない感情が湧き起こってしまう。

空気感としては国のために戦うのが当然というナショナリズムの時代なので、多くの人が意気揚々と戦地へ向かったに違いない。

誇りや名誉が家族の愛よりも大切だったなんて、今から考えると想像することがむずかしい。

 

軍事技術の発展で国同士が競い合い戦争が効率化したことによって、第一次世界大戦は、より泥沼化したと言われている。

鉄道ができたことによって兵士や食糧をたくさん輸送できるようになったとか、塹壕を掘って戦うことによって長期戦になったとか、戦車の登場であるとか、ナショナリズムと技術の発展が組み合わさったことで人類史上最大規模の戦死者を記録した。

誰もがすぐ終わると思っていたはずの戦争が約4年も続き、結果的に戦線は数メートルを互いに奪い合っていただけだった。

何のために戦うのか、いつ終わるのか、誰もわからないまま上の命令だけに従うという人生の過ごし方は今から考えると悲惨でしかない。

 

人類が未だかつて経験していないことは誰にも対処ができない。

こうして今歴史に学び過ちを繰り返さないことで、安全安心を享受できている事実をあらためて実感した。

戦争反対。戦争はよくない。

は誰でも簡単に言える。

でも歴史を俯瞰して見ると誰が悪いわけでもなく、それぞれの正義で戦っていることがよくわかる。

もちろん当然よくないことなのだけど、戦争は人間という生きものの業の奥深さを表しているので、何も知らないで軽々しく発言するのは気をつけようと思った。

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