アナログの曖昧性

アナログとデジタルの違いはわかりやすく言うと連続的かそうでないか。

0か1か2進法で表すデジタルに対して、アナログは0と1の間を明確に分けない。

今あらゆる物事がデジタルで表現されているけれど、厳密に言えばすべてのことが単純に数値化できるわけではない。

本来は連続的な円周率をわかりやすく3.14として計算しているように、デジタルという技術はわかりやすくて、とても便利で、処理速度が早く、再現性が高い。

膨大なデジタルデータから導き出される解が、あたかも未来を予測し、正解のように振る舞っているのは近年のAI技術が信憑性を纏って物語っている。

 

反対にアナログの特徴は、デジタルとは真逆でわかりにくく、不便で、遅くて、再現性がない。

とても曖昧で、常に変化していて、状態は揺らいでいて、儚さを孕んでいる。

昨今のデジタル社会に生きていて、より強く感じるのはアナログにこそ人の感動する心や美しさが宿っているのではないかということ。

そして人間という生きものである以上、誰しもが根本的なアナログからは逃れられないと思うのだ。

脳や細胞がそもそもアナログであるし、自然そのものが連続的で儚いものだから。

水平線の静謐さ、光の煌き、心地よい音、空の移ろいや、緑の癒し。

そういった事象に心を落ち着かせ、美しさを見出すのは、自然が決して再現性のあるものではなく曖昧だからに違いない。

 

アナログであることは主に芸術の分野に集約される。

書道なら線、音楽なら音、写真なら光、絵画なら色、陶芸なら土、料理なら火。

どれも揺らいでいて曖昧で儚くて変化し続けている。

その一瞬を捉えることが芸術の本質だろう。

どの芸術にも批評は存在するけれど、究極的には言語化すらもしてはいけない領域のような気がする。

言葉はある意味で概念という枠組みに境界線を引いている作業だから。

 

ありのままに感じる。

そんなことさえ待ってくれないほど、今の社会は感動や美しさまでコントロールしようとしてくることに違和感をおぼえる。

人間がデジタル化すればそれはもうロボットと同じだ。

どこまで人はアナログな気持ちを忘れずにいられるのだろうか。

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