きれいごとの世界

世の中にはまだまだ語られていないことがたくさんあるように思う。

それらは建前、体裁、見栄、外見、知名度で見えにくくなっている。

人気だから、有名だから、流行っているから、誰それとつながりたいからと、表向きで社会的な人格を保つために人生をブランディングしているように見える。

本当の素顔とは一人になった時に現れるのだろうか。

もしくは誰といるときが本当の姿なのだろうか。

みんながみんな内面的な欲望で人生を選択しているとも思えない。

憧れの人を見て自分もそうなりたいと願い、みんなと同じように歩幅を揃える。

話題のエンタメを楽しみ、結婚して子供を作り家族になって、仕事でも成功して幸せを享受する。

見方を変えればその人生は国の政策でもあるし、資本主義社会において利益追求の思うつぼであるにもかかわらず。

もちろん幸福は人それぞれだから何を否定するわけでもないけれど、どこまでが見えている世界の影響を受けていて、どこまで自分が心の底から欲望を表出させているのか、時折頭をもたげてしまう。

 

損得勘定が混じったら本音ではない。

愚痴を言うことも本音ではない。

思っていること、考えていることをありのまま話せる人と出会い、信頼関係を構築するまでの時間が現代社会ではあまりにもなさすぎる。

学校だけの関係、仕事だけの関係、いろんな関係性が希薄になっていないだろうか。

SNSで着飾っているようなきれいごとの世界と、ありのままでいる自然体の乖離が、生きづらさを生んでいるのではないだろうか。

なんでみんなそんなに無理をして格好つけてるんだろうといつも不思議に思っている。

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