味覚は教養

どれだけ食材にこだわって、どれだけいい技術で料理を作ったとしても、その美味しさが相手に100パーセント伝わるとは限らない。

味覚には好みがあるし、育った文化の違いもあるし、感じ方は人それぞれ。

コンビニごはんや冷凍食品が日常的になっている現代人を見ていると、本当にきちんと作られた料理の美味しさを忘れてしまうのではないかと考えてしまう。

その上、お腹が満たされればそれでいいといった、そもそも食に関心のない人だってたくさんいる。

反対に消費者の立場になったとき、自分の興味のない分野のことは頭に残らないし入ってこないし楽しくもないので、その気持ちはよくわかる。

食は生きるために欠かせないことだけど、外食はある意味でエンタメなので必要のない人は別に困りもしない。

 

そう、だからどれだけ自信たっぷりの料理を作っておすすめしたとしても、そもそも食に興味のない人には何も刺さらないのだ。

美味しさが世界共通だとはいえ前段階で興味関心の差に大きな壁がある。

それは食だけではなくどの分野にも当てはまるだろう。

乗馬には興味がないし、車の改造にも関心がないので、その良さはまったくわからない。

本音ではこの世界のいろんな事象に興味はあるけれど、深く知りたいと思えるほどの時間は足りないし、世の中も細分化されすぎている。

限られた時間で自分の好きの何を優先するか、選ぶのにも一苦労してしまう。

 

逆に、興味関心を持って取り組めば何でもおもしろくなる。

好きなことに対しての知識があればより深みが増す。

対象物の背景や歴史、ルーツを知るということはまさに教養を身につけるということ。

情報や文脈を伴ってこそ本当のよさが理解できる。

誰がどんな思いで作っていて、誰から買うか、人同士が顔と顔を突き合わせていれば、料理ならより味に反映されるだろう。

味覚はいい食材や作る人の技術と同じくらい、食べる人の教養でも変わると言いたい。

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