よくその道を極めた職人なりアスリートが「それしかできないから、他の選択肢がなくて」なんて言ってるのを耳にする。
ひとつの物事に集中してとことん追求する。
そんな姿はとても美しい。
一方で他のことが何もできないのはリスクでもある。
できないことができる周りのサポートがあってこそ。
突き抜けた成果を出すということは、能力を互いに補完し合える人とのマッチングがすべてなのではと言い切ってもいいくらいだ。
大きな視点で言えば分業制という発明で進歩した資本主義システムがいい例だろう。
翻って何でもある程度できてしまう平均的な人は変化への適応能力が高いものの、ずば抜けた成果が出せない。
器用貧乏というやつだ。
そこそこ器用だから少し目立ったりはできるけど、どれも中途半端に飽きてしまい極めるまで続かない。
裏を消せば好奇心旺盛と、いい解釈もできるけど、サポートする側もサポートのしがいがないからうまくマッチングしないのではないだろうか。
どうせ一人でできるんでしょ、と。
人間が共生して生きている以上、会社の組織問わず、男女関係も友人関係も家族関係も、そんな能力のマッチングで人生の良し悪しが決まってしまうのではないかと思えてくる。
今までいろんな人を見てきて経験値的にそう思う。
ひとつ頭が抜けてる人たちは能力の相性がとてもいい。
誰と出会うか、どの環境に身を置くか、偶然か必然か、運といえば運だろうし、探して見つかることもあると思う。
そのためにも自分の能力を知ることも大切だろう。
何が得意で、何が苦手で、世に何を提供できるのか。
ビジネスで成果を出すことにおいては、アイデアを出す能力の人、成長させる能力の人、継続させる能力の人、がうまく組み合わさっていたりする。
一方で、誰かと能力のマッチングをすることが正解ではないし幸福だとも限らない。
ビジネスで成果を出すことも、世に何かを提供することも、成長し続けることも同じように言える。
人と人の多くの出会いは偶然によってできている。
社会の闇では作為的な出会いもあるだろうけど、結局どこかでもつれていく。
何より自然体で存在すること、迎えるでも待つでもない姿勢。
ありのままでいればいつかいい出会いがあるものだ。
これは自分に対する救いのメッセージ。