労力と報酬

多くの大人が人生のほとんどの時間を仕事に費やしている。

そしてそのための多くの理由が生きていくためだろう。

とはいえ、仕事をしなくても生きていける保証があっても全員が怠惰になるとも思えない。

人間には何かを成し遂げたい「理想」を叶えるための「欲望」を持っている。

なので欲望には快楽や権力を求める積極的なものと、楽をしたい怠けたいという消極的なものがある。

往々にして、楽をしたいから踏ん張ってがんばる、という構図が大多数な気がする。

 

自分の人生を何に捧げるか。

与えられた時間や体力や知見のリソースをどの労力に注ぐか。

総じて世界は資本主義社会なので生産物や成果が求められるけど、注いだ労力に対する報酬をエネルギーとして等しくみんな生きている。

報酬はお金に限らず、未来への投資、やりがい、生きがいなど、他者との関係性(人的資本)やキャリア形成(社会資本)や知識や教養(文化資本)のように目に見えないリターンも含まれる。

 

そこで大事なのが目的だろう。

どの指南書にも書いてあるありきたりな言葉だけど、結局はそれに尽きると思う。

目的が定まっていると目にとまる情報も解像度が上がる。

でも多くの人が目的の設定に高いハードルを課しているように感じる。

何者かになるための立派な理想でなくても、親の役割を務めることや、家族を守ること、サラリーマンという社会を構成するの一員であることも、立派な目的になりうると思う。

 

いかに注いだ労力に対して報酬のリターンを得るか。

ただこの世界の不平等なところは、市場原理による需要と供給から(お金に限らず)単価に高低差が生まれてしまう。

わかりやすく言えば、需要のあるマーケットで起業してうまくいけば報酬は青天井だし、斜陽マーケットで雇われの労働力として仕事をするなら報酬どころか心も身体も消耗ばかりしてしまう。

その意味において飲食という業界は、労力に対しての報酬が少なすぎる。

お店が飽和状態で競争が激しい上に、昨今の物価の高騰や便利な食事で、料理人の価値が下がっているのは明らかだ。

(もともと社会的地位は低いけれど)

でもそこに目的があって、何より好きでやっているなら、それは人生を注ぐに値する立派な選択であっていい。

誰もそれを咎めることはできない。

それはどんな仕事でも言えるだろう。

何が目的で、何を労力として、どんな報酬を得たいのか。

自分の特性を理解してより具体的に考えれば、もう少し生きやすくなると思う。

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