性と芸術のあいだ

一般的に性を語ると卑猥なイメージに受け取られてしまう。

生きものである以上は誰しも根源的に大切なことにも関わらず。

潜在的に希求するもの。

芸術家に限らず、小説家や音楽家など多くのアーティストが作品を通して、性をいろんな形で表現しているのは、そうせざるを得ない、またはそのピースがないと全体が完成しない、からだと思ったりもする。

 

一方で性はタブー視されている分野だからとも言える。

してはいけないと決められているからこそしてしまいたくなること。

抑圧からの解放、背徳感から生まれる快楽。

浮気や不倫コンテンツが人気なのは普遍的欲求なのかもしれない。

性は時に理性では抑えられない強いエネルギーを秘めている。

 

時代の変化に伴い性の価値観もオープンになってきたような気がする。

昔は結婚するまで、なんて厳格に守られていたけれど、今は割とフランクに身体だけのコミュニケーションを交わすのはインターネットによって、つながりがシームレスになったせいだろうか。

違う世代の価値観は理解しようとしても、どこまでも当事者の気持ちの核心には到達できない。

客観的に見て、社会の変化で人間の行動様式はそのような変化を辿るのか、と眺めているだけでも十分におもしろい。

 

芸術を通せば性に寛容さが生まれることがあると思う。

例えば小説で性描写があってもいやらしさを感じない。

コンプライアンス関係なくフィクションだからと何を言ってもある程度許容されるのは、ある種の抜け道のような気もする。

それでも芸術の文脈から考えると、社会通念に染まっていない原初的なものをアートと呼ぶならば、性もまた生命にとってなくてはならないものなので相性がいいと言える。

よって表現をする上で、万人の心を潜在的に動かしてしまうのが「性」というコンテンツとも言えるのではないだろうか。

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