報われるとは

人生を一つの物語としたとき、誰しもがその途中で次のステージに行くために超えないといけないハードルが要所要所にある。

受験に始まり就職やパートナー選び、ところどころにある自分に課した目標。

大きな選択以外に今もすでに何か提出する課題なり、目的なり、期日までにやらなければいけないことを抱えている人がほとんどだと思う。

学校、職場、プライベートでも、みんななにかと常に何かに追われている。

つまりみんなそれぞれでそれぞれにがんばっているということ。

 

そのがんばりは役に立つのか、報われるのか、という疑問は物心つくときから芽生え始める。

学校の勉強は将来の役に立つのか。

テストや受験対策のための暗記だけの勉強に意味を感じなかったのは自分だけではないはず。

大人になった今、どの科目も内容を覚えているかどうかではなく、モノの見方を増やすことにおいて重要なのは身にしみて感じている。

それでも細かいことを言うと、意味がないと思っていたことに意味が生まれるときだけに、報われた、と言えるような気がする。

何かの役に立ってこそ報われるとするならば、何の役にも立たなければ報われたことにならない。

 

例えば、役に立つと思ってどれだけ時間をかけて一生懸命がんばっても、周りの評価を得られずお金にもならないとき、多くの人が諦めて挫折してしまう。

自分の好きなことしかできないアーティスト気質な人はより実感するだろう。

がんばりというのは、ある意味で他者の評価が存在してこそ成立することになる。

そしてどの環境でそのがんばりを発揮するのかでも大きく結果は変わってくる。

誰に認めてほしのか、どんな市場なら通用するのか、自分の性質や特性への理解、時代は何を求めているのか、適材適所の変数は多岐にわたる。

 

持論だけど、世の中で成功を収めるような人は、自身の才能もあるけれど適材適所の要因の方が大きいと思う。

その中でも、市場を読んで必要な武器を集めて上手に世渡りする人もいれば、たまたま自分の特性にあった人生を選択している人と2パターンに分かれる。

最小限のがんばりで最大限の成果を出す。

報われるといは、いみじくも賢さと運が必要だとはいえ、他者軸を必要としている場合も多く一概に目にみえる成果だけが報われるということではないと思う。

積み重ねてきたがんばりや成果がたとえ周りから評価されなくても、自分の中だけで納得して完結しているならば、それは意味を帯びて報われていることになる。

出来事をどう解釈するかは自分に委ねられている。

そのためにもがんばるからには心を込めて本気で物事に取り組まないといけない。

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